先駆者としてのルネ
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今では日本のティーンエイジャーの女の子の間だけでなく、
世界中で通じる「Kawaii」。
この「カワイイ」文化は1930年代に内藤ルネによって、
イラストやファッション、人形、ファンシーグッズと
さまざまな形で具現化されたのがきっかけと言えます。
内藤ルネが創り出す作品が人々に与える「カワイイ」という感動が、
すべてのはじまりだったのです。

明るく元気な女の子を描いた最初のアーティスト

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内藤ルネが当時の少女たちに絶大な人気の雑誌『ジュニアそれいゆ』に描き始めた女の子のイラストは、それまでの少女画とは全く異なるものでした。“憂いを秘めた”“伏し目がちな”おとなしい女の子だったそれまでの少女画に対し、ルネが描いた少女は、“デフォルメした大きな目”に“小顔にヒョロ長いプロポーション”の「元気」で「明るい」女の子。少女画において、センチメンタルな抒情画の名残を捨て去った最初のアーティストと言われています。ルネの描いた明るく元気な少女たちは、愛くるしい表情とともに、その多彩なヘアスタイルやファッションなどは、「日本の少女たちに自分の価値が美しく、しとやかではなく、“かわいく、元気”であることに気づかせた。」(心理学者・立教大学教授 香川リカさん)のです。

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かわいいモチーフ、動物・フルーツ・花

ルネは、“明るく元気な”女の子だけでなく、自分の周りに存在するあらゆるものに“カワイイの芽”を発見し、それらをモチーフにして独自の感性で「カワイイ」作品を創り出しています。日本でパンダブームが起こる以前に、旅先のロンドン動物園で初めて見たパンダに感激し、絶対にイラストにしたいと強く感じたルネは、「ルネパンダ」としてパンダのキャラクターを創り出しました。パンダとして、はじめてイラスト、キャラクター化された「ルネパンダ」はセンセーショナルなブームを巻き起こし、日本のパンダグッズの原型となり、以後のパンダグッズに大きな影響を与え続けたのです。ルネは、パンダ以外の動物も数多くイラスト化するとともにフルーツやお花をモチーフに「カワイイ」を表現しています。ルネが雑誌『少女の暮らし』のためにデザインした“いちご柄”は、当時の山梨シルクセンター(現サンリオ)がオリジナルデザイン第1号として“いちご柄”を大ヒットさせる以前の1961年からさまざまな形で商品化され始め、その後もフルーツや野菜の作品が次々と生み出されて行きました。弥生美術館学芸員の中村圭子さんも著書の中で「いちご柄のルーツは、ルネだったのです」(「内藤ルネ 少女たちのカリスマ・アーティスト」)と述べています。

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ファッション、インテリア分野での
ブームの火付け役

ルネは全く新しいイラストレーターとして活躍しただけでなく、さまざまな分野でも「はじめて」を切り開いています。ファッションにおいては、キャノチェ(カンカン帽)や短い丈の白手袋、大きなボタン使いなどを流行させ、ココ・シャネルやイヴ・サンローランらをその存在が日本で注目される以前にすでに紹介しました。また、19 世紀にヨーロッパの貴婦人たちの間で流行ったアンティークドールのビスクドールの日本での一大ブームの火付け役と言われています。インテリアに関しても、棄てられていた医療用の戸棚を白く塗って飾り棚にして“白い家具・白い部屋”ブームを創りあげました。

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ファンシーグッズという新しいビジネスモデル

ルネが創り出した作品は、当時としては珍しくさまざまな商品として広がっていきました。1961年、アメリカ映画『哀愁』の「ビリケン人形」を「大人びたやや怖い顔をグッと可愛らしい顔にデザインし直して、陶器の立ちポーズの小さなマスコット人形にして、お世話になっている方や友人に届けられたら・・・」(本人談)という思いで制作された陶器のビリケンが陶器メーカーによって商品化されました。他にもいちご柄を中心にしたフルーツや動物、お花などのデザインは、ステンシール、文房具、食器、ファッションなどあらゆる商品となり、当時の少女たちの生活を可愛く彩っていったのです。弥生美術館学芸員中村圭子さんが「戦後、リボンを描き始めたのは昭和30年代頃の内藤ルネでしょうか? 現代ではリボン模様のグッズを至る所で目にします。内藤ルネというアーティストが少女グッズ界に与えた影響は大きいと言えるでしょう」と言うように、まさに現代のファンシーグッズというビジネスモデルが大きく発展するきっかけは、ルネだったのです。